わたしいろのまいにち

My color My Life

わたしが出来るまで

前回のお話はこちら→

ダメな恋のつづきのつづき。

書けば書くほど情けなくなる(笑)
が・・・ドラマを感じる。←バカ



一睡も出来ないまま出勤した日。

私は職場で、異動を命じられました。

それは、前代未聞の異例な人事。
この背景には、私が受けていたパワハラがありました。

見かねた上層部が強硬手段をとってくれたのです。

強硬手段をとってくれた上司は、幹部クラスの突然の退職により
急きょ幹部に抜擢された人で、元は私がいた部署の直属の上司でした。

同じ事務所で、ひどい扱いを受けていた私を見かねてのことでした。

ちなみに、この時助けてくれた上司に、その後私はそれ以上のパワハラを受け
最近まで苦しめられるというオチがあるのですが、この話はまたあとで。


こんな悲惨な状況の時に、職場ではこんな願ってもない出来事が
奇跡的なタイミングで起きている。

悪い時はすべて悪い方に進んでいくが、今回は違う。
だから、この出来事にも希望があるかもしれない。

そう思いました。

が・・・

その後、彼から彼女の家であった出来事の報告があり、
現実を受け入れざる終えないということを聞かされました。

全てを諦めきった彼は、腹をくくったと言い、
きちんとすべてを話したいから、私に会って欲しいと言いました。
会ってその後に、旅に出ると。←やっぱりバカ

どうしても会って話がしたかったので、約束の時間を決めました。
短い時間の中で、何とか彼を引き留めるすべはないものかと
必死に考えていました。

しかし事態は急変します。

彼から会えなくなったと電話が来たのです。
なぜなら、彼女の両親が彼の家に向かっていると。
それはあまりにも突然のことで、その時両親に今回の説明を一切していなかった彼は、
パニックを起こしていました。

もうこれで本当に終わりだと思いました。

一本の電話後、家に押しかけられた彼のご両親と彼は
なす術もなかったようで、いわゆる「責任」をとると決めたのでした。



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ダメな恋のつづき。



想定外の展開に動揺が隠せない私は、彼にメールや電話をし続けました。

と言っても、こんな時でも理性を保とうとするので一日に何度もとか
そういうことはありませんでしたが・・・
年上の女の見栄みたいなものもあったのかもしれません。

ある夕方、やっと彼と電話がつながりました。

電話に出た彼の声は、明らかに憔悴しきっているのがわかるほど
弱った声でした。

何かあったのかと問うと、彼の口から信じられない言葉が。

酔った勢いで一度関係を持った女性が妊娠してしまった。
今まさに、その女性の家に呼ばれて向かうところだ。

と・・・。

人生色々あったけど、久しぶりの強い衝撃に打ちのめされました。

突然崖に突き落とされるとはまさにこのこと。

俺はどうしたらいい?

どこまで無神経な男なのか・・・
一番ショックを受けている私に、何を言ってるんだ?
辛く悲しかったし、腹も立ちました。

それでもなんとか平静を保ち、今まさに修羅場に向かおうとしている彼に
経緯を聞きました。

彼曰く、自分の子供かどうかもわからない。
酔っていて確実に関係をもったかもわからない。

それから彼女と会うことはなかったが、3か月ほどたって、
突然呼び出され、子供が出来たからと言われた。

その日のことを確認し直し、付き合っていたわけではないので、
今後のことを話し合おうとしたけれど、彼女には中絶の意思はなく、
とにかく、子供の親になることを要求してきた。


とのことでした。

確信犯だ・・・。

そう思いました。彼女の相手が彼か別の男性かはわかりません。
ただ、そうなることを彼女は計画していたのだ。
明らかに彼女は中絶出来ないタイミングで彼を呼び出してこの話をしている。

私は彼を失いたくなかったので、必死で止めました。
自分でない可能性があるならば、そこをまず追及するべきだと。

彼は銀行にあった自らのお金をすべて降ろし、彼女の家に向かっていました。
なんとかそのお金で解決できないかと考えていたようでした。

妊娠は一人ではできない。
相手にも同じ責任があるはずなのに。

彼の弱さと優しさにつけこまれたのだと思いました。
こうなったとき、彼が逃げられない人間だというのを
彼女は見抜いていたのだと思います。

とにかくご両親に会ったらおしまいだ。
今日はなんとか引き返すよう説得しましたが、
とりあえず相手に気持ちがないことを伝え、軽率な行為を詫び、
理解してもらうつもりだからと、電話を切りました。

それからの私はもう放心状態。

何が起きたかわけもわからず、眠れぬ一夜を過ごしました。




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前回からずいぶん経ちましたが、なかなか書く気になれなかった
ダメな恋の話を書いてみようと思います。

40歳ごろの派手な失恋話です。



転職後もパワハラで苦しんでいた私。

そんな中、例のお祓いのきっかけになった男性との恋愛も
微妙な雰囲気になっておりました。

わたしと彼は恋愛関係にはなっておりませんでしたが、
当時の私は割とスピリチュアルどっぷり。

なかなかいわゆる男女の恋愛関係に進展しない間柄について、
自らの感覚とスピリチュアルなリーディングに頼っておりました。

彼はもともと前職に出入りしていた業者の人間で、
7つ年下で人懐っこい彼とは、あっという間に意気投合しました。

彼が私に好意を持っているのは周囲から見ても明らかで、
冷やかされたりもしましたが、当時の私はさほど興味はなく。

ただ、彼は美しいタイプのイケメンだったので悪い気はしておりませんでした。
その後、男女にありがちな色々な出来事があり、私も結局彼に好意を抱くことに。

ですが、もともと住んでいるところが遠かったこと。
彼の転職と転勤が重なったこともあり、電話は毎日のようにあるものの
会えない日々が長く続いておりました。

今思うと、その時点で想いが足りないというか縁がないような気もしますが。

なかなか進まない恋愛に、終止符を打つべきか?
でも彼からは必要とされていて、いずれは一緒になる。
そんな感覚もありました。

なので、当時信頼していたヒーラーに自分の感覚を確かめるべく相談。
彼女たちの見解も一緒だったので、二人の結びつきを信じていました。

そんなある日、突然彼が会いに来たのです。
やっと休暇が取れたので会いに行くと。

先祖へのお墓参りを済ませてきたという彼は、
いつもよりなにかとてもまじめで、これからのことについて語り出しました。
この未来に自分はいるのだ。
あぁやっと、始まるのだ。これまでの想いが報われる。
心から安堵しました。

ところが、その日を境に彼との連絡が一切取れなくなりました。



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再生の日々は、無気力に生きていたせいか、記憶が断片的であいまいです。

なので当時起きた印象的な出来事を綴っていきたいと思います。

今日のお話は、

その時起きていること、見えていることが全てではない

と言うようなお話。




前職を良い状態でやめられなかった私。

中でも、入社時から親子のように仲の良かった上司とは、
長年の付き合いだったのにもかかわらず最悪な別れ方をしていました。

その上司は、退職時は常務になっていて実質私の退職を最終的に
受理する立場にもありました。

ところがその頃、私と上司の関係はうまくいっておらず、
体調が悪いのにもかかわらず退職を妨げられていました。
それは完全に意地悪としか思えないやり方で、ずいぶん辛い思いをしていました。
(そこで社長に直談判せざるおえなかったというわけです)

社長のおかげで退職が決まり職場を去る時も、
挨拶さえしたくないほど、私はその上司に強い不信感を抱いていました。

ですので、上司が最後に声をかけてきた時も、
今更何を言っているのだと腹が立ち、無視するような形で職場を去ったのでした。
去り行く私を、悲しい顔でずっと見つめていた上司の顔は今でも覚えています。

でも、もともとは仲が良くなんでも言い合える仲だった上司。
私も大好きでした。
なので、この後味の悪い別れ方は私にとって気持ちの良いものでは
ありませんでした。

最後ぐらい、どうしてもう少しましな挨拶ができなかったのだろう?
と言う気持ちもありながら、自分は間違っていないという気持ち。
そして上司への怒りも強かったので、たとえこれが最後であっても、
頭を下げることはできませんでした。

そして私の退職後、その上司もほどなくして突然定年前に
職場を去ったと風の便りで聞きました。

それから3年。

新たな職場でまたパワハラにあい厳しい精神状態にあった私に
一本の電話が入りました。

その上司からでした。再就職先の海外からの国際電話。

電話の内容は驚くべきものでした。

あの時はすまなかった。
君とあんな別れ方をしたことを今日までずっと悔やんでいた。
本当に申し訳なかった。


上司は、明るいキャラクターでありながら職場で腹黒などと言われ、
自分が間違っていても、決して頭を下げることのない人でした。
とにかく何があっても謝らない。
この人の中に反省と言う言葉はないのか?と誰もが思っているほど。

これだけですとただの悪人のようですが、とてもチャーミングな人でもあり、
それが許されるようなキャラクターでもありました。

反省をしない、人に頭を下げない上司が、
3年私のことで悔やみ続け、詫びの電話をいれてくれた。

私は間違っていなかったんだ。

実ははその上司とひどい別れをしたことで両親に私の人間性についても
否定されていました。そんな性格だから人とうまくやれなくなるのだと。

当時自分でも、仲が良かった人達と良い別れ方が出来なかった自分を
責める節もあったので、自分自身が苦しみの中にいながらも、
両親の言葉を受け入れてしまう自分もいたのです。

なのでその時両親に理解されなかった苦しさからも解放されました。

表現が適切かはわかりませんが、新しい職場でもパワハラを受け続ける中で、
自分に非があるのか日々自問自答し続け、自信喪失をしていたその時に、
過去の自分から贈り物が届いたような感じでした。

なんでもすぐに結果や答えを求めがちな私ですが、
この時初めて、その時起きていることが全てではない。
後になって真実が見えることもあると言うことを学びました。

そして、もう少し自分を信じてあげなくてはいけないと思いました。

その証拠に前職のギフトは、その後も形を変え私のところにやってきて
今の職場での辛い時期を何度となく救ってくれたのです。

辛い出来事はない方がいい。

でもその経験が人生を救ってくれることもあるのですね。

大好きな映画、赤毛のアンの中でアンの恩師の印象的な言葉があります。

最後は真実が救ってくれる。

今でも、辛い時は自らの経験とその言葉を思い出し自分を励ましています。



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お金がない日々は、なにも私に辛いことだけをもたらしたわけではありません。
そこから学ぶべきこともたくさんありました。

例えば、お金をかけずオシャレや部屋の模様がえをすること。

セラピスト以前の私は、収入もそこそこありましたので、
好きな服を好きなように買い、あまりものを考えず物を買っていました。

ところがお金がなくなってからは、服を買うこともままならない生活。
生活が破綻して数年は、お金を持っていた時に買った服を着まわしていました。

服や靴にはお金をかけていたので、割とお値段が良いと言われるブランドのものを
多く持っておりました。なのでそれらは悪くなることもなく、
服を買えない時期は、なんとか乗り切ることが出来ました。

それでも少しだけ生活に余裕が出来てくると、流行にあったオシャレがしたくなり
プチプラでオシャレを楽しむ主婦の友人などのアドバイスもあり、
プチプラファッションのお店をまわったりもしました。
プチプラの服さえ買うのもやっとでしたので、買うときは吟味に吟味を重ねて。

そういう生活を数年続け気づいたことは、
やはり値段が高いものにはそれだけの価値があるということ。
服でも靴でも、一見は値段の安さを感じませんが、
一年で破れたり生地がヨレヨレになって年単位では着れないものが多かったのです。

私の育った家は、サラリーマン家庭でしたが、母は衣食住を大切にする人で、
子供の頃から、季節ごとに近くの百貨店に行き、
質の良い服を買って着せてくれました。

良いものは長く着られるから。

それが母の口癖。

この経験をして、母の言っていたことが初めて理解出来ました。

私にはやはり、良いものを買って長く着るというスタイルが合っていると
わかったので、その後は少し我慢をしてでもよいものを買うようにしています。

本当に気に入ったものを買えば大切にするし、愛着もわきます。

と同時に、プチプラで新しいファッションに挑戦するという楽しみを
知ることも出来ました。

ハイファッションのものと組み合わせればプチプラもプチプラに見えない。
そういう工夫を覚えたのものこの頃。

人ってお金がないと知恵を使うしかない。

そうやって無い知恵をしぼりだし生み出したものが大成功だったりすると
お金では得られない満足感が得られると知りました。

ちなみに母は笑いながらいつもこんなことを言っています。

貧乏人は、お金かけずに手間かける

貧乏人と言う言葉はどうかと思いますが、母はいただいた食材や
家で採れた野菜など、本当に無駄なく手間をかけて丁寧に
お料理をしたり調味料を作ります。
近頃では、七味唐辛子も柚子胡椒も自家製。
これって豊かなことだと思うのです。
こういう母の精神は、無意識に自分の中に受け継がれている気がします。
作れるものは自分で作る。産み出せるものは自分で生み出す。

もちろん、お金はたくさんあった方がいいです。
けれども、ないことに悲観するのではなく、ないなりに工夫したり
楽しむことを学べたのはこの経験の財産でした。

そして今やっていることもその生活の延長だったりします。
これからもし、もっと金銭的にゆとりのある生活が出来るようになっても
こういう意識と精神、価値観は大切にしたいと思っています。



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