わたしいろのまいにち

My color My Life

わたしが出来るまで

前回までのお話はこちら→⑩⑪

お前はオーラソーマで人生をダメにした。

セラピストの仕事に失敗した時、両親はそう言いました。

正直、私もそう思っていました。
オーラソーマは、その人の本質に光を当てるツール。
そういった意味では、起きていることは必然だったのかもしれませんし、
魂的には幸福に向かっていたのかもしれませんが、
現実の社会で生きるには厳しい状況を引き起こしたのも事実でした。

セラピスト関係にかかわる人脈は一切断ち、ただただ生活を立て直すために
仕事だけをする生活。見えざる者に襲われた時とはまた違った、
生気のない生活。

お金もなかったので、いつも通帳の残高を気にして暮らしていました。

そんな中、オーラソーマの資格期限がやってきました。

当時、プラクティショナーの資格を維持するには、年間6時間の授業が必須で、
更新授業を実施できるスクールで授業を受けることが義務付けられていました。

それまでは、卒業したスクールでその更新授業を受けていましたが、
先生に会う気分にはなれず、資格更新授業を受けるにはお金がかかるので、
生活費を捻出するのがやっとだった私は迷っていました。

ところが、更新ぎりぎりのタイミングでオーラソーマのコスメラインの授業を
受けることを決断します。

当時は無気力に生きていたからか、その時の記憶がはっきりしないのですが、
とにかく運命的というか、突き動かされたかのように受講したのを記憶しています。

その次の年の更新授業も、育ててくださった先生を離れ、
同じ、AEOSというコスメラインの授業を受講し、
なんとか資格だけは維持しておりました。

労力とお金を投資して取得した資格を簡単に手放す勇気がなかったとともに
やはり、オーラソーマと言うツールが嫌いになれなかったのだと思います。





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前回までのお話はこちら→⑩⑪

年明けました。続きを書いてみようと思います。


就職が決まった職場は、すぐにでも人が必要な状態だったので、
採用決定して一週間ほどで勤務が開始となりました。

36歳独身で、総務課事務採用。
世間というのは、私には理解できないもので、
私が採用されたという噂は一気に広まりました。

私が知らない人達が、私の素性を知っている気味の悪さ。
売店の店員さんまでもが私を知っているという。
女性が多く、既婚で子持ちが多い職場で36歳独身というのは、
とても興味深い存在だったようです。
しばらく後から聞いた話だと、明らかに今まで職場にいなかったタイプ
と言うのも目立つ要因だったよう。

そんな状況だったので、様々な詮索をされるのも面倒くさかったので、
とにかく今回の職場では、仕事だけを淡々とこなし、
人間関係もクールに行こうと心がけました。

でも当時の私は、今以上に独身コンプレックスが強かったので、
職場で新しい人に接するたび、年齢や独身であることを聞かれるたびに
かなりつらかったのは事実です。

そして再就職した私にまたやってきたのは、強力なパワーハラスメント。

採用してくれた女上司のパワハラは、就職後まもなく始まります。
きっかけとなる出来事はありましたが、おそらく前職でもそうであったように、
私は強力なパワハラを引き付けてしまう要素を自分の中に
持ち合わせていたのだと思います。

前職は仲間がいた中でのパワハラでしたので、
何とか気晴らしする場がありましたが、
今回は完全孤立、知っている人もいなければ、助けてくれる人もいない。
なかなか厳しい状況でした。

唯一同じ職場に、10歳年下の感じの良い男の子がいて、
彼と仲良くなれたのが唯一の救いでした。

辛い日々ではありましたが、とにかく仕事をしに来たのだから、
しっかりと仕事はこなそう。

そう思い日々を過ごしていました。




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わたしのこと。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
内容が内容なだけに、書いていてヘビーな時もありましたし、
途中体調を崩したり、疲れがひどく全く文章が書けなくなった時があったのですが、
年内に一区切りつけることが出来てほっとしています。

書いていて驚いたのですが、この出来事自体がもう7年以上前の出来事。
ここからは、私の再生のお話です。
と言っても、再就職が決まったもののその後もなかなかヨレヨレで
文章になるのかな?と言う感じなのですが、
ダメダメな自分をひっくるめ、今までとは違った感じで
軽快に書いて行けたら・・・と思っています。

正直、完全に再生出来てるかと言えば微妙だし、
再生と言うよりは、Re startのお話かなぁ。

有名人でもなんでもない、44歳の独身女の人生。

正直自分もなぜこれを書き綴っているのかわからなくなる日もありますが、
ご興味のある方がいらっしゃいましたら、ブログとともに引き続き
お付き合いいただけたらと思います。

ブログを立ち上げてから足をお運びくださっている皆さま、
ありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します



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前回までのお話はこちら→⑩⑪

お祓いをしてくれたオーナーからは、再就職も神がサポートすると
言われておりました。

36歳からの就職活動は、人生で初めて年齢の壁を感じる厳しいものでは
ありましたが、奇跡的に今の職場に就職が決まりました。

採用の経緯はこんな感じでした。

ハローワークで紹介された会社を数社落ちた後、
今の職場の関連施設の期間限定事務職員の面接を受けました。

結果は不採用。

ところが、その不採用になった職場から今の職場で事務のパートを
募集しているので、情報を提供してよいかと電話が来たのです。

職場は地元でも名の通った病院。
関連施設を含め面接を受けたどの職場よりも知名度がありました。

パートでもなんとか入職できれば、道は開ける。
両親も安心するのではという気持ちもありました。

その後、面接をしたいという連絡が来てすぐに面接。
当初時給制の半日パートという条件が提示されていたのですが、
いざ行って面接をすると、その場でなんとフルタイム、
月給制で働いてみないかとの提案が。
産休要員ということで期間限定職員扱いとは言え、
仕事が認められれば、正式採用の可能性もあるとのこと。

信じられない展開でした。


実は私が採用された課で、先ほども書いた通り産休の人がいたのですが、
人の補充をせずに乗り切る予定だったらしいのです。
ところが、どうにも仕事をこなすのが難しくなり、
人を採用したいが募集すれば事務員の募集は人気があるので人が集まりすぎる。
人選する時間もない・・・

そこにちょうど関連施設で面接があり、
惜しい人材を不採用にしたという情報が伝わったらしいのです。

多くの募集があった中、私は最終選考の3人まで残っていたらしく、
不採用となったもう一人とともに履歴書が病院に送られ、
所属課長が書類を見た段階で採用がほぼ決定し、面接に至ったということでした。

就職してずいぶん経ちますが、こんなケースはその後全くありません。
半年間期間限定職員として働いた後、私は正規職員として採用されます。

その後聞いた話ですが、関連施設で採用となった人は、
正規の職員になることはなかったそうです。

そう考えても、奇跡的で神がかった再就職でした。




何とか年内に一区切りつけることができました。
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お祓いが終わると、死ぬことが怖くなりました。
顔には血色が戻り、一時のどす黒い顔は生気を取り戻し始めました。

ですが、その存在が短くない期間自分のそばにいたという代償は大きく
生活はすでに立ち行かなくなっておりました。

私は社会人になって初めて、両親に頼らざる終えない状況に
追い込まれました。

私の家は、以前も話した通り厳しい家庭で、
何とか説得して、セラピストの仕事での独立を認めてもらえたものの、
家族内では相変わらず肩身の狭い思いをしていました。

私はセラピストという仕事に使命感を持っていましたが、
同時に、この仕事を成功させて父を見返すという
相反する気持ちもありました。
正直に言えば、当時の私にはセラピストとして有名になりたい
という野心もありましたし、それが自分には出来るという、
思いあがった気持ちがありました。

こんなのでうまくいくはずがないですよね。
そしてこのお仕置きともいえる出来事。
(それにしてもかなり厳しいものではありましたが)

お祓いをしてくれたオーナーからは、

まず、生活を立て直しなさい

と言われました。ごくごく当たり前の話です。
自分の生活がままならない人間が、人の救済などとんでもない話です。

私は家も出ているので、家賃も払わなくてはならない。
わずかな貯金や退職金はとうに底をついておりましたので、
両親に金銭的な援助を求めました。

生きる希望を失いボロボロな私に、
父は自業自得だと突き放されましたが、
怪我からの今回のことを見て、私を不憫に思っていた母が
手を差し伸べてくれました。

生きていたくない

と泣いている私の手を握って、
そんなことを言わないで欲しいと母は泣いていました。

今思うと、なんて親不孝なことを言ってしまったのだと思います。

死ぬのは怖くなくなったものの、次々と自分に降りかかる出来事に
疲弊しきっていた私は、再び立ち上がる気力を失っていました。

ですが、この出来事で母に愛されていたということを
知ることが出来ました。

母に二度とこんな言葉を言わないように、
幸せな人生だと胸を張って言えるようにがんばろう。

そういう気持ちになれました。

母の愛を知り私は再び立ち上がれたと言っても過言ではありません。

どんなにつらい経験でも得るものはあって、
母の愛情を確信できたということは、何事にも代えがたい
私の生きる支えになったのは事実です。

親に愛されているということを知ると知らないでは、
人生は大きく違うものだとこの時知りました。

子供にとって親は絶対で、親の愛の力に勝るものはないという気がします。

35歳を過ぎてからでしたが、このことを知ることが出来た私は
幸せだと思いました。



年末までに一つの区切りをつけたいと毎日更新しています。
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