わたしいろのまいにち

My color My Life

わたしが出来るまで

通院を始めたクリニックは、日本でもなかなかない
代替医療を取り入れていました。

通常の精神科、心療内科などで強い薬を使いたくなかった私には、
とてもありがたい環境。

それに、以前痛い失恋の時お世話になったフラワーエッセンスを
今回は医師から処方してもらうという形で再開。

セラピスト時代に出逢ったツールで、医師が治療を施してくれる。

願ってもない話でした。

一般的な薬と違い、即効性はありませんでしたが、
緩やかに不眠は解消していきました。

ですが、どんなに治療を続けても、
上司のパワハラも仕事の量もエスカレートするばかり。
治療を受けてはダメージを受けという、
いたちごっこのような毎日が続いていました。

そんな中、私はついに過呼吸に陥り職場で倒れます。

勤務しているのは病院ですので、その場で点滴を受け、
かかりつけのクリニックへ・・・

ここでドクターストップがかかり、
休職を余儀なくされます。

ここでやっと、上が動き、部署の掛け持ちの解除と、
上司の配置転換が行われました。

つい最近、掃除をしていたところ、
何かの時『自分を守るため』とつけていた、当時のメモが出てきました。
それはもう、壮絶な毎日で見ているだけで、吐気がするほどでした。

我ながら、よく仕事に行けていたなと。

そしてよくこの程度で済んだなと。

セラピスト復帰してからの一連の出来事を振り返り
私は自分を本格的に立て直すということに
向き合わざる終えなくなりました。

自分のためだけに、自分の時間を使う。

とても当たり前のようなことですが、
私が出来ていなかったこと。

今がまさにその過程であり、過去ブログをすべて捨て
このブログを始めたのも、それが大きなきっかけでした。


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お越しくださってありがとうございます。

年末から再開しようと思っていたわたしのこと。

気ままに復活したいと思います。

なにものでもない私の人生の断片ですが、
ご興味があれば引き続きお付き合いください。

怒涛の日々で記憶が曖昧になっているので、
印象的なエピソードなども断片的に
書いていこうかなと思っております。

と言うことで、今日はセラピスト復帰してからのお話。



セラピスト復帰を決断した私。

ご縁があり欠品していたボトルも整ったので、
復帰のご連絡を兼ねキャンペーンのご案内を過去のお客様などに
お送りすることにしました。

日程に制限があるのにも関わらず、
復活を待ってくださっていた方々からのご依頼も続き、
復帰後のセラピスト業は順調でした。

当時、職場ではパワハラ上司と、部署の掛け持ち業務で、
精神的にも肉体的にもハードな毎日でしたが、
私にとってのライフワークが復活したことで、
何とか自分を保つことが出来ていました。

生計を立てるための仕事と、自分が悦ぶ仕事を続ける毎日。

そんな中、同じオーラソーマを学びサロンを経営するオーナーから、
店の休日に、私のサロンをオープンさせてみないかという
ありがたいお話をいただきました。

サロンは、オーラソーマのボトルもすべて揃っており、
パワーストーンや癒しグッズが揃っている、
清潔感のあるとても素晴らしい環境。
願ってもないお話でした。

話はとんとん拍子に進み、オープン日も決定。
初日お客様は満席で順調な滑り出しでした。

ところが、もともとの休日が少ない上に、
ハードな仕事と猛烈なストレスを日々受けていた私の身体は、
疲弊しきっておりました。

体調が思わしくなく、
次回サロンのオープン日を決定するタイミングで、
中止せざる終えなくなってしまったのです。

調子が悪いのでお客様にベストなコンディションで
セッションを提供できる状態ではなかったことと、
幸いご予約もすぐには入らなかったので、早めの決断をしました。

そのことをオーナーに伝えると、
まさかの叱責を受けました。

オーナーとは信頼関係も出来ていると思っていましたし、
当初から、私は仕事を持っているので、
無理のない営業でという契約だったのですが、
私の認識が甘かったのか、言葉は厳しくないものの、
営業を続けることを強いられました。

今思うと、オーナーなりの応援だったのかもしれませんが、
当時の私はそうはとらえることはできませんでした。

普通の生活を取り戻しつつあったとはいえ、経済的にゆとりがなかったので、
お客様が来ても来なくても、それなりの家賃の支払いが発生するのが
厳しかったというのも正直なところです。

結局、体調的にも精神的にも経済的にも、
オーナーとの関係にさえ限界を感じてしまった私は、
やむなくその環境を手放しました。



タイミングではなかったのだと。

たった一回しかできなかった自分を責めたりもしましたが、
今思うと、仕事のストレスで不眠が一年近く続いていたので
無理があったのかもしれません。

治療に専念しようと、ちょうどそのタイミングで
友人が紹介してくれた、東洋医学や代替医療を取り入れたクリニックに
通院をすることを決めました。


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前回のお話はこちら→

前回の引き寄せに続き、今回も前を向いて歩きだした私に起きた
奇跡のようなお話。
辛いことも多々ありますが、同じぐらい素敵なギフトもいただいてます。



40歳を迎え少しした頃、かつてセラピストデビューをさせていただいた
サロンのオーナーのブログを久しぶりに訪れてみました。

お世話になったものの、その後の私自身の失敗などもあり
疎遠になっていたのです。

久しぶりに彼女の活動を見ると、なんと写真家としての活動を
始めているではないですか
多才な人だとは思っておりましたが、まさか苦手分野であった
写真の世界で活躍を始めているとは、驚きました。

そのブログには、人間を被写体として撮りたいので
モデルのモニターを募集すると書かれてありました。

自分の好きな服を何パターンか持ち込み、無償で撮影してくれるというのです。

ええかっこしいの私は昔から写真に写った自分が嫌いで、
(不細工だから 笑)今もカメラを向けられると逃げるほどなのですが、
彼女には撮ってもらいたいと強烈に思いました。

なぜなら彼女は私の良い面も悪い面も、ダメなところも見ているからです。
彼女にならさらけ出せる。写真嫌いを克服できるはず。
そう思いました。

迷うことなくモニターに応募。
久しぶりの連絡に彼女と、私がかつてカウンセリングをさせていただいた
彼女の娘さん(やはりカメラマン)は大喜びして下さり、
すぐにフォトセッションの日程が決まりました。

当日、当時お気に入りだった服を数着持ち込み撮影。

久々の再会に不思議な緊張感と喜びをかみしめつつ、
衣装を変えながら、数百枚の写真を撮ってもらいました。

1週間後、写真が仕上がったと連絡がありました。

意外なことに、写真の中の私は自信に満ち溢れた顔をしていました。
とても強い目をしていたのです。
仕事もお金も失い、よからぬものにとりつかれ、
一度は生きる力さえ失いかけたり、職場では強烈なパワハラに遭い
ボロボロなはずなのに。

この時、それでも歩んできた道は間違いなかったのだと思いました。
そしてそのことが嬉しくて涙が溢れました。
辛かった日々は私に力をくれたのでした。

写真を撮ってもらったことで、自分の人生を肯定することが出来ました。
本当に撮ってもらってよかったと思いました。

素晴らしい写真が出来上がっただけでも幸せなことなのに
奇跡は続きます。

実は彼女、写真のホームページを作っていたのです。
でもまだそのページは未公開。
なぜなら自己満足だからと、私に見せてくれたのです。
彼女は私に見せてすぐ削除するつもりだったらしいのですが、
あまりにも素晴らしい出来だったので、公開するべきだと強く勧めました。

すると公開してすぐに、とある印刷会社と彼女の師匠から個展のオファーが。
私の写真も飾られることになり、個展のモデルデビュー。
そして、写真集も作られることになり、写真集デビューも
果たすことになったのです。

この信じられない展開に、人生って本当に面白いものだと思いました。

ダメダメ人生を送ってきたと思っていた私が、写真の被写体に
そして、その人生初、プロに撮ってもらった写真が個展に展示され
写真集にもなる。

そしてこの写真は、その中でも特別な一枚になりました。
IMG_3234
撮ってもらうと決めた時、真っ先に浮かんだこのコーデ。
スカートは、母が若かりし日に履いていたミニスカートです。
これは展示用のモノクロ写真ですが、実際は赤いバラ柄のスカート。

20歳の時母から譲り受けてから、大切に持っていたものです。
当時は私服として来ておりましたが、
さすがに20年も過ぎてしまい普段使いに着る勇気はなかったので、
これはちょっとしたチャレンジでした。

ですが、結果この写真がベストショットに。

正直見せるまでは、何を言われるかドキドキしていたのですが、
母は、この写真を本当に喜んでくれました。
自分が若かりし日にオーダーで作った自慢のスカートが
数十年の時を経て、日の目をみたのはもちろん、
言ってみれば、母の作品の塊のような写真ですからね

所謂親孝行とは違う形かもしれませんが、作品となった写真を見て
大喜びをしてくれる母を見て、少しはそれっぽいことが出来たのかなと
思いました。

人生色々ありますが、こういうご褒美的な出来事があるから、
なんとか楽しく生きていられるのだと思います。

この写真を撮って早5年。
今の私はどんな表情をしているのかな?

節目の今年、記録写真を撮ってもらうのもよいかな?
と思う今日この頃です。





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前回のお話はこちら→

今日はセラピスト復活時に起きた引き寄せの話。



復活を決めた時、オーラソーマは転換期に入っており、
私が使用していた、25mlのボトルの生産が中止になっておりました。
その時点で我が家のボトルは、カウンセリングに必要な
100本以上あるボトルのうち、20本以上が不足しておりました。

ボトルは高額なので、金銭的に考えても、
すべてのボトルを補充するのは厳しい状況。

どうしようかと思いながらも、とりあえず手持ちのボトルで
セッションを復活することを心に決めました。

そんなある日、友人と前から気になっていて、なんとなく行けなかったカフェに
行ってみました。

そこは以前、地元で唯一オーラソーマのセッションを提供していたお店。
オーナーにも様々な転機があり、その空間はカフェに生まれ変わっていたのでした。

共通の友人がいたこともあり、オーナーとはすぐに意気投合。
楽しい会話とカラダに良いスイーツをいただき至福の時間を過ごした帰り、
オーナーが袋に何かを入れて持ってきました。

それは、オーラソーマのボトルでした。それも20本近く。
「私はもう使わないから」と持たせてくれたのです。

オーラソーマのサロンとして営業をやめてから数年以上が経過しており、
セラピストの出入りも多いであろうそのカフェ。
当時の施術者を含めオーラソーマのセラピストもいたはず。

けれどオーナーは、そのボトルを私に託してくれたのです。
思いがけない出来事に、胸がいっぱいになりました。

この復活は正しい選択だ。
オーナーが自分にそうしてくれたように、私も私の出来ることを
提供しなくては。そう思いました。

ボトルをいただき家に帰る途中、早速友人からセッションをしてほしいと
申し入れがありました。

帰宅して早速ボトルをセッティングしすぐセッション。

なんと彼女は、オーナーからいただいたばかりのボトルの中の1本を、
今自分に必要なボトルとして選びました。
ボトルは使う人のために生まれてくると言われていますが、まさに。
通常は購入していただくボトルですが、そんな特別な日だったので、
セッション代のみをいただき、彼女にボトルをプレゼントしました。

そんな形でボトルは補充されたものの、オーナーからいただいたボトルは、
家にあるものと被っているものもあり、それでもなお10本近くのボトルが
不足していました。

とりあえずいいか・・・と思っていたところ、今度は関西の友人から
連絡が入りました。

英国でホメオパシーやヒーリングも学び、スピリチュアルなヒーラーでもある彼女。
地元のサロンでセッションをしてもらったものの、腑に落ちないので、
そのセレクトボトルを使って、私にカウンセリングのやり直しをして欲しい
との依頼でした。これもまたすごいタイミング。

カウンセリングを終え、近況を交え話をしていると、
彼女のセッションをしてくれたプラクティショナーは、
近々オーラソーマを手放すため、ボトルを割引価格で販売しているとのこと。
私の近況を聞いた友人は、彼女に一度交渉してみたらどうかと、
連絡先を教えてくれたのです。

鳥肌がたつようなタイミングとありがたいお話だったので、
すぐに彼女にメールを送りました。
すると、すぐに返事が届き、喜んでお譲りしますとのこと。
しかも、一般に割引している価格よりさらに値引き、
送料もいらないとのこと。

信じられないほどのありがたいお話に、
天のサポートを感じずにはいられませんでした。

素晴らしい流れと、多くの人、見えざる存在の協力を経て、
プラクティショナーとしての復活が実現。

ご予約も次々といただき、平日は仕事。
休日はセッションと充実した日々が始まりました。



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なじみのカフェで月に1回開催されるそのマルシェには、
飲食、癒し、さまざまなお店が出店しておりました。

私が出かけた時は、カラーセラピー、パワーストーンのアクセサリー
ネイルのお店など、私になじみのあるブースが多くありました。

長いこと避けていた世界でしたが、その時は客観的に
その世界に触れてみたいと思うようになっていました。

出店されていたカラーセラピーは、私が学んだオーラソーマをベースに
作られた簡易的なセラピーでした。
日本に存在する多くのカラーセラピーは、オーラソーマの影響を受けており
そのツールも然りでした。

やり方は違えど、色に対する認識はほぼ一緒。

そういえば、それより前に友人が、やはり別のカラーセラピーを学んだからと、
ツールを持って家にやってきた時も私は難なくそのツールを使い
セラピーが出来ました。

大きな投資をしましたが、それなりのものを身に着けていたのだと、
少し安堵したのを覚えています。

客観的に色の世界に触れることにより色の奥深さ、
自分が学んだツールの素晴らしさに改めて気づかされる経験をしました。

そしてもうひとつ、マニキュアのブース。
今ではメジャーとなった胡粉ネイル

そのブースでは、当時ではまだ珍しかったその胡粉ネイルを扱っていました。
当時は、それほどメジャーではありませんでしたが、
爪に優しく、塗ってはがすことの出来るそのマニキュアの存在を
私も知っており、とても興味があったのです。

サロンを出していたのは、乳がんを患い、療養中のオシャレが
女性の癒しになると体感し、退院後ネイルを学んだというネイリストさんでした。

病気の人にも優しいネイルを・・・という想いから、
胡粉ネイルを扱うことにしたとのこと。

同じマニキュアリスト、そして形は違えど病気やケガにより人生を
考えさせられた者同士。すぐに意気投合しました。

そして、自分と同じ痛みを持った人たちに笑顔を取り戻したいという
彼女を見て、私もこの世界に戻らなくてはと思ったのです。


そしてこの時の彼女たちとの出会いが
セラピストとしての復帰のきっかけとなりました。



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