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再生の日々は、無気力に生きていたせいか、記憶が断片的であいまいです。

なので当時起きた印象的な出来事を綴っていきたいと思います。

今日のお話は、

その時起きていること、見えていることが全てではない

と言うようなお話。




前職を良い状態でやめられなかった私。

中でも、入社時から親子のように仲の良かった上司とは、
長年の付き合いだったのにもかかわらず最悪な別れ方をしていました。

その上司は、退職時は常務になっていて実質私の退職を最終的に
受理する立場にもありました。

ところがその頃、私と上司の関係はうまくいっておらず、
体調が悪いのにもかかわらず退職を妨げられていました。
それは完全に意地悪としか思えないやり方で、ずいぶん辛い思いをしていました。
(そこで社長に直談判せざるおえなかったというわけです)

社長のおかげで退職が決まり職場を去る時も、
挨拶さえしたくないほど、私はその上司に強い不信感を抱いていました。

ですので、上司が最後に声をかけてきた時も、
今更何を言っているのだと腹が立ち、無視するような形で職場を去ったのでした。
去り行く私を、悲しい顔でずっと見つめていた上司の顔は今でも覚えています。

でも、もともとは仲が良くなんでも言い合える仲だった上司。
私も大好きでした。
なので、この後味の悪い別れ方は私にとって気持ちの良いものでは
ありませんでした。

最後ぐらい、どうしてもう少しましな挨拶ができなかったのだろう?
と言う気持ちもありながら、自分は間違っていないという気持ち。
そして上司への怒りも強かったので、たとえこれが最後であっても、
頭を下げることはできませんでした。

そして私の退職後、その上司もほどなくして突然定年前に
職場を去ったと風の便りで聞きました。

それから3年。

新たな職場でまたパワハラにあい厳しい精神状態にあった私に
一本の電話が入りました。

その上司からでした。再就職先の海外からの国際電話。

電話の内容は驚くべきものでした。

あの時はすまなかった。
君とあんな別れ方をしたことを今日までずっと悔やんでいた。
本当に申し訳なかった。


上司は、明るいキャラクターでありながら職場で腹黒などと言われ、
自分が間違っていても、決して頭を下げることのない人でした。
とにかく何があっても謝らない。
この人の中に反省と言う言葉はないのか?と誰もが思っているほど。

これだけですとただの悪人のようですが、とてもチャーミングな人でもあり、
それが許されるようなキャラクターでもありました。

反省をしない、人に頭を下げない上司が、
3年私のことで悔やみ続け、詫びの電話をいれてくれた。

私は間違っていなかったんだ。

実ははその上司とひどい別れをしたことで両親に私の人間性についても
否定されていました。そんな性格だから人とうまくやれなくなるのだと。

当時自分でも、仲が良かった人達と良い別れ方が出来なかった自分を
責める節もあったので、自分自身が苦しみの中にいながらも、
両親の言葉を受け入れてしまう自分もいたのです。

なのでその時両親に理解されなかった苦しさからも解放されました。

表現が適切かはわかりませんが、新しい職場でもパワハラを受け続ける中で、
自分に非があるのか日々自問自答し続け、自信喪失をしていたその時に、
過去の自分から贈り物が届いたような感じでした。

なんでもすぐに結果や答えを求めがちな私ですが、
この時初めて、その時起きていることが全てではない。
後になって真実が見えることもあると言うことを学びました。

そして、もう少し自分を信じてあげなくてはいけないと思いました。

その証拠に前職のギフトは、その後も形を変え私のところにやってきて
今の職場での辛い時期を何度となく救ってくれたのです。

辛い出来事はない方がいい。

でもその経験が人生を救ってくれることもあるのですね。

大好きな映画、赤毛のアンの中でアンの恩師の印象的な言葉があります。

最後は真実が救ってくれる。

今でも、辛い時は自らの経験とその言葉を思い出し自分を励ましています。



再生の日々をつづります。
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