前回までのお話はこちら→⑩⑪

お祓いが終わると、死ぬことが怖くなりました。
顔には血色が戻り、一時のどす黒い顔は生気を取り戻し始めました。

ですが、その存在が短くない期間自分のそばにいたという代償は大きく
生活はすでに立ち行かなくなっておりました。

私は社会人になって初めて、両親に頼らざる終えない状況に
追い込まれました。

私の家は、以前も話した通り厳しい家庭で、
何とか説得して、セラピストの仕事での独立を認めてもらえたものの、
家族内では相変わらず肩身の狭い思いをしていました。

私はセラピストという仕事に使命感を持っていましたが、
同時に、この仕事を成功させて父を見返すという
相反する気持ちもありました。
正直に言えば、当時の私にはセラピストとして有名になりたい
という野心もありましたし、それが自分には出来るという、
思いあがった気持ちがありました。

こんなのでうまくいくはずがないですよね。
そしてこのお仕置きともいえる出来事。
(それにしてもかなり厳しいものではありましたが)

お祓いをしてくれたオーナーからは、

まず、生活を立て直しなさい

と言われました。ごくごく当たり前の話です。
自分の生活がままならない人間が、人の救済などとんでもない話です。

私は家も出ているので、家賃も払わなくてはならない。
わずかな貯金や退職金はとうに底をついておりましたので、
両親に金銭的な援助を求めました。

生きる希望を失いボロボロな私に、
父は自業自得だと突き放されましたが、
怪我からの今回のことを見て、私を不憫に思っていた母が
手を差し伸べてくれました。

生きていたくない

と泣いている私の手を握って、
そんなことを言わないで欲しいと母は泣いていました。

今思うと、なんて親不孝なことを言ってしまったのだと思います。

死ぬのは怖くなくなったものの、次々と自分に降りかかる出来事に
疲弊しきっていた私は、再び立ち上がる気力を失っていました。

ですが、この出来事で母に愛されていたということを
知ることが出来ました。

母に二度とこんな言葉を言わないように、
幸せな人生だと胸を張って言えるようにがんばろう。

そういう気持ちになれました。

母の愛を知り私は再び立ち上がれたと言っても過言ではありません。

どんなにつらい経験でも得るものはあって、
母の愛情を確信できたということは、何事にも代えがたい
私の生きる支えになったのは事実です。

親に愛されているということを知ると知らないでは、
人生は大きく違うものだとこの時知りました。

子供にとって親は絶対で、親の愛の力に勝るものはないという気がします。

35歳を過ぎてからでしたが、このことを知ることが出来た私は
幸せだと思いました。



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